みなさん、こんばんは!
いつも、ブログをお読みいただいて
ありがとうございます😊
hspで
肯認学〜ラヴァブルワールドメソッド®︎〜
九州校インストラクター瀬戸みゆきです。
自分が自分を大切にして生きる❣️
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こちらからどうぞ

はい
今日からプロフィールを
何回かにわけて書いていくね!
長いよ

ブログプロフィールには
書いてるんだけどね。
そして
しんどかった時のことも
ほぼ書いてあるから
重たいのが苦手な方は
スルーしてね!
1972年2月6日
仮死状態で生まれる。
物心ついた頃から
感受性が強い子でした。
2020年12月に
自覚したのだけど
hsp で生まれつきの気質
そんな私の生家では
父がいつも暴れたり怒鳴ったり
窓ガラスなどが頻繁に割れたり
毎日なにかしら事件があり
敏感なわたしは
いつもビクビクして
怯えて育った。
わたしは事あるごとに
「疲れた」
といっていているような
小学生でした。
塾の先生には
何がつかれるんね
と理解されなかったけど
たしかに
なんで疲れてんだろうと
小学生みゆきは思ってたけど
いまでは
絶対つかれる環境やん‼️
しかも安心の場所で
あってほしかった家庭まで
だとわかる

そして
「なぜ
こんな家に生まれてきて
しまったんだろう」
と
いつも思って
過ごしていました。
家にいても
どこにいても
しんどいと思ってたな

1987年
中学3年生の時に
自律神経失調症
の過敏性大腸症候群
と診断され
高校時代が
一番のピークを迎え
あまりの苦しさ、しんどさに
教室でも
腹痛がまたいつ起こるのか
他にも身体のことで
悩みが尽きませんでした。
ありがたかったのは
保健室の先生が理由が
明確にわからずとも
理解しようと思ってくれていて
新任の保健室の先生にも
引き継ぎされてあり
保健室で休ませていただけたんだよ。
めちゃ厳しい
おばちゃん先生だったけど笑
あんた悩みがあるなら
話してよーて
言われてたけど
何を話せば
いいのかわからずに
話さなかったな。
でも先生がそう言って
言葉をかけてくれたのは
やっぱりありがたいなと
思ってるよ

しかし
学校で身体のことで
常にビクビクしていて
敏感なことも重なり
人の目がいつも以上に
気になり
死んだ方が楽じゃないのかと
たびたびよぎることもある
日々を過ごしていました。
(この人生で、何度かあったな
)

しかし
たまたま友達のヘルプで
体育館のステージで歌うことになり
(最初、死ぬほど緊張したけどね
)

それ以来
ステージ、学校のイベントなど
いたるとこで歌ってもいました

味をしめた女みゆき

校内でバンドのヴォーカルも
やってました♡
お腹の不調が
常につきまとっていたけど
きっとステージで歌うことが
当時のわたしの心を
支えてくれて
いたと思うよ♡
(過敏性大腸症候群は
30代に入るまで続いたよ。)
今晩も自分に優しくいこうね
